最後の扉が開いた
「ぶ~ん、ぶ~ん」
特に何をするでもなく、PCの前でぼぉ~っとしていた西谷のスマホが音を立てて動き出した。
西谷は息をのむ。
西谷は、転職活動中であった。すぐに何とかなるだろうと思っていた転職活動、予想に反して中々決まらなかった。
客観的に見れば、それは当然なのかもしれなかった。44歳。これと言った資格もない冴えないおじさんだからだ。
- 連戦連敗で、自信を失われつつあること。
- 転職するぞと決意した熱い気持ちが収まりつつあること。
- 転職活動をしていることは、会社の人間には誰ひとり言っていなかったこと。
などから、この電話もダメだったら、
”「転職し、方向転換することで、自分の可能性を試してみる。」ということは諦めよう!”
と考えていた。西谷の転職の意思に大いに賛成してくれていた妻にもそのように伝えていた。
転職を諦めてどうするのか?それは…西谷が、プライベートの時間に取り組んでいることについてだ。
トレードの可能性に見切りをつけ、それ以外に取り組んでいること
- ウェブサイト運営、アフィリエイト、インターネット広告
- youtube
にリソースを集中させるということだ。西谷は、トラックドライバーで生計を立てつつ、転職活動をしていた。
トラックドライバーになる前には、9年間、アフィリエイト、インターネット広告を主な収益源とした会社を小さいながらも経営していた。
西谷が興したその小さな会社は、最終的に解散せざるを得ない状況となり、西谷はトラックドライバーになった。
会社を解散させても、トラックドライバーになっても、ウェブサイトは、西谷の手元にある。西谷は、トラックドライバーをしつつ、
- トレード
- ウェブサイト運営、アフィリエイト、インターネット広告
- youtube
のいずれかで、もう一度、一花咲かせようと考えていたのだ。中でも、トレードに希望を乗せ、他のことをないがしろにするほどに、真剣に取り組んできた。
「トレードは駄目だわ。トラックドライバーの2年間でそれがわかったってことでいいじゃん!コツコツ記事書いてウェブサイト運営して、youtube動画アップしていけばいいじゃん!」
そのように思い始めていた。
そして、心のどこかでそれが実現してくれないかとさえ、思うようになっていた。
- 俺は、転職活動をやったんだ。だけど、駄目だったんだ。
- 俺は、最善を尽くしたんだ。
もしかしたら、西谷に限った話ではないかもしれない。人は変化を嫌う。自分を守ろうとする。逃げ道を確保しようとする。
西谷自身、燃えるような熱い思いは、しぼみ始め…守りに入り始めていた。
…
「はい。西谷です。」
「西谷くん。佐藤自動車横浜の吉原です。しっかりと検討させてもらったんだけど…」
あ~駄目なんだろうなぁ…西谷は感じた。
「西谷くん。とりあえずさぁ…うちで頑張ってみる?」
可哀そうな境遇の人を助けてあげるかのような口調・雰囲気だった。
44歳で未経験の営業職への転職…なぜ、西谷を採用しようと思ってくれたのか…?それはいまだに吉原に聞くことは出来ていない。
吉原は、その後、西谷が勤務することになる、佐藤自動車横浜江川店の店長。その後、長く彼と関わることになるのだが、吉原は、2歳上、身長は180センチの西谷よりもさらに高い182センチ。学生時代には、ラグビーに青春を捧げ、それなりにやんちゃなこともしてきたであろう雰囲気を醸し出しているアニキ肌の男だ。
1人で会社を興しウェブサイト制作・インターネット広告をやってきたバイタリティとスキルに期待してくれているのか?
おそらく、そうではない。吉原は、44歳にして、まだ、あがいて人生を切り開こうとしている西谷に、同情したのかもしれない。
兎にも角にも、社長からトラックドライバーとなり、迷宮に迷い込んでしまっていた西谷の前にある最後の扉が開いた。
もう前に進むしかない。
「ありがとうございます!人生を変えるために頑張ります!」
何を言っているのかさっぱりわからない恥ずかしい台詞を残し、西谷は電話を切った。
なぜ営業職なのか?
西谷はどのような会社・職種への転職を希望していたのか?
自動車の営業職(ディーラー)である。
西谷は、トラックドライバーをしながら、もう一度、一花咲かせようと考えていたわけだが、その大まかな考え・方法論・仮説は以下の通りであった。
今は、オーディオブックというサービスがある。トラックドライバーであれば、今まで、思うように出来ていなかったインプットの量をしっかりと確保することが出来るのではないか?
トラックドライバーは、オフの時間に頭の中まで仕事に奪われることはないのではないか?であれば、復活のために時間を確保出来るのではないか?
実際のところ、これら2項目とも、西谷の予想に近かった。しかし、2年間トラックドライバーとして生きてきたが、復活は叶わなかった。それはなぜなのか?
- 仕事にそれなりに順応し、それが普通な生活になっていってしまった。
- トレードに全振りしすぎた。
主にこの2点だろう。逆に、トレードの可能性を2年かけて検証し、駄目だったとわかった分、成果を得ることが出来たと考えても良いのかもしれないし、実際そうだったのかもしれない。その道の延長線上に、輝かしい未来は存在しているのかもしれない…。
ただ、扉は開かれた。西谷は、扉の向こうに進むしかない。
営業職に興味を持ったのは、オーディオブックで運転中に聞いていた、様々な自己啓発書の中に、営業に関するモノが結構あったからだ。
- 営業職で苦労している人に向けて書かれた自己啓発書
- 営業職で苦労している人に向けて書かれた心理学・テクニックを主とした本
等々だ。それらを書いた人たちは、特段高学歴であるとか生まれながらにエリートであるなどではなかった。
- 良いとは言えない環境の中、現状を打破するため、営業の世界に足を踏み入れ、結果を出した人。
- 何物でもない状況から、自ら道を切り開いてきた人。
が書いている本がかなりあり、そういう本に西谷は感化された。
- 営業か…?20代の頃は、絶対に無理って思ってたけど…きついかもしれないけど、チャンス・可能性はある仕事だよな。
- 自分自身、もしかしたら、営業職がバチってハマるかもしれないじゃん!60歳になってから、「俺、営業やってたらどうだったのだろう?」と思っても遅いよな。
- 営業というのは、職種であり、マーケットだ。その中にどっぷり浸かって、結果を出して、情報発信する側になれたら、可能性の幅は大きくなるぞ。
そのような思いがあった。西谷が9年間、主としてきたウェブサイト制作・インターネット広告…その中で、西谷が行き詰った要因に、「再現性のないスキル・普遍性に乏しいスキル・専門性のないスキル」に執着しすぎたということがあった。
西谷は、収益の大半を、検索エンジンの上位表示ありきの手法に頼っていた。
何等かのキーワードで検索エンジンの上位をとるには、その時々で、検索エンジンの傾向について情報収集し、情報交換し、読み、感じて動く必要があった。
そして、西谷が9年間執着し続けてきた検索エンジンで上位表示させるための取り組みの大半が「再現性のないスキル・普遍性に乏しいスキル・専門性のないスキル」だったのだ。
時代は流れ、西谷個人が狭い視野で執着し続けた方法論では、根本的に立ちいかなくなってしまった。
「再現性のないスキル・普遍性に乏しいスキル・専門性のないスキル」だとしても、お金を稼ぎ続けることが出来るなら良い。
しかし、お金を稼げなくなってしまっては、何の取り柄もないおじさんが1人ポツンとそこにたたずんでいるだけである。
情報発信?自社商品?
「今通用しなくなった検索エンジンの上位表示方法を誰が欲しがるのか?」という話なのである。
「営業は、職種であり、マーケット。」
営業には再現性・普遍性・専門性を含んだスキルが存分にある!それを欲している人だっている!そして、仕事として成り立たせている人が一般的にたくさんいるし、そうなりたい人だってたくさんいる。
営業にドップリ浸かってやる!それが、自分の人生を変えることになるはずだ…。
既に扉は開かれている…西谷は、期待と不安…そして大きな野望を抱き、入社までの日を過ごしたのだった。
11月(営業マン開始~1か月目)
ついに、営業マンとしての人生がスタートした。営業と言う仕事は、大変だと、前職で関わった人間のほぼ全員が言っていたが果たして…。
西谷は、緒方という超ベテラン営業マンの下で営業マン生活をスタートさせることになった。
緒方は58歳。20代前半は、職を転々としていたそうだが、今の会社で営業するようになってからは、この道35年の大ベテランさんである。定年までに、私を一人前に育てて、大事にしてきたお客さんを私に引き継がせようとしているようだ。
佐藤自動車横浜江川店の営業マンメンバーはというと以下の通りだ。
- 吉原(店長):西谷より2歳年上。荒っぽい面があるが、根は優しく情のある男。
- 緒方:良くも悪くも営業一筋の超ベテラン。2年後に定年退職を控えている。
- 川口:西谷より7つ年下。前職は、不動産の営業。ガツガツ売りまくる江川店の営業マンの中ではエース的存在。
- 里村:西谷より13歳年下。だけど、この職場では8年ほどのキャリアのあり、幅広く様々な知識を持つ頼れる存在。
- 向島:西谷の妻曰く”無駄に男前”な人。西谷より5つ年下。要領よくユルく世の中を渡っている感じがする男。
- 北沢:西谷より4か月早く中途入社した先輩。西谷より9つ年下。基本いいヤツだが、たまに常軌を逸脱しかかる男。
そして…おじさんルーキーの西谷。
測らずもバラエティに富んだ営業メンバーである。
営業マン生活をスタートさせてしばらくは、指導を買って出てくれたらしい緒方にいつもくっついていた。
- 外出する時はついていき…
- 外出するけど、ついてくるなと言われた時は、ipadで勉強したり、見積もりを作る練習をし
- 何も言われてない時は、ipadで勉強したり、見積もりを作る練習をし
そんな日々を送っていた。今振り返れば、特に面白いエピソードの無い1か月だったように思い出されるが、実際は、西谷なりに苦しんだ1か月だった。
でも、売り上げとか税金とかの苦しみに比べたら会社員は最高だ!!と心底思えていた。
だが、会社員を二年してしまったからだろうか…そういう風には思いにくくなってしまっていた。
西谷は、基本的に、興味のあることにしか脳を働かせない人間だった。そして、1人社長時代はそれが許されていたし、トラックドライバー時代も業務さえきちんとやっていれば、それで問題なかった。
しかし、自動車の営業をするとなると、様々な現代で生きていく上での知識が必要になってくる。
税の事、利率の事、ローンのこと、各種法的手続きの書類のこと、車検のこと、車の点検のこと、補助金のことなどなどそれらは多岐にわたる。
車の営業職でなくとも、そういったことにキチンと頭を働かせている人間はいる。しかし、西谷はそうではなかった。
緒方に、
「えっ!?西谷君ってホントに何も知らないんだね…」
と何度言われたことか…。
ただ、この苦しみは、今まで楽してきたツケであることを西谷自身自覚していた。
そして、こういった面倒くさい学びをしていくことが、自分のレベルアップにつながり、今までの延長線上ではたどり着けなかった素晴らしいゴールにたどり着けるのだと考えていた。
とはいえ、完全に仕事に慣れ、把握し、それなりに認められていた前職での居心地の良さが恋しくなることは一度や二度ではなかった。
そんなただただ、新人の苦悩だけを味わっていた一か月だったかと言えば、そうではなかった。
入社して1週間くらいたった頃、副社長宮原に呼ばれて会議室へ行った。
実は、株式会社佐藤自動車横浜は、私が入社する前に合併をしていた。副社長宮原は、合併前の1社で社長をしていた人物だ。
会議室で副社長は西谷に言った。
「西谷さんは、ずっとインターネット関連の自営をされていたんですよね…。具体的にはどういったことを…」
そこから、西谷と副社長は、検索エンジン、SEO、SNS、PPCなど様々なインターネット広告に関することを話しした。
入社したての何者でもない自分の話に、興味津々で経営者側の人間が耳を傾けてくれて、西谷の心は踊った。
副社長曰く、「PPC広告には、興味があって、代理店に話を聞いてみたこともあったのだけど、手数料の面から導入を見送ったことがあるんだ。西谷さんは出来るの?」
「全部1人でやれます!」
西谷は答えた。本当か…?西谷は、1人社長時代、主に、SEOメインで収益を上げていた。ではなぜPPC?
SEOに不安定さを感じていた西谷は、何度も、PPCへの挑戦を試みていたのだ。数十万もする教材を購入したり、SEOが好調な時に、経費でPPCを回して大いに経験を積んではいたのだ。
PPCでアフィリエイトすることに関しては、細かく設定し、コツコツチューニングし続けることで、若干のプラスくらいに出来ることは確認できていた。
しかし、PPCへの情熱は、そこからさらに燃え上がることはなかった。それはなぜか…?理由は主に2点あった。
アフィリエイト自体、PPC広告を提供しているヤフーやグーグルから大歓迎されているとは言えなかった。
いつ、アフィリエイトでのPPCは禁止と言われるかわからない状況に、ワクワク感を抱くことが出来なかった。
<理由その2>
承認率の問題。 承認率は発生した成果の中で承認とされた成果の割合のこと。
1件申し込ませて2,000円の案件を100件発生させたら、20万円となるところ、何らかの理由で承認されない場合があるということ。
仮に、30%承認されなければ20万円ではなく、14万円しか西谷の会社へは振り込まれない。
つまり、16万円使って20万円の報酬をもらうのであれば、4万円の儲けとなるところ、承認率が70%であれば14万円しかもらえないので、2万円の赤字となってしまう。
PPCを主戦場として戦っているアフィリエイターであれば、特別単価を設定してもらっていたり、承認率保証の条件を勝ち得た上でPPC運営をしているケースもある。
<理由その3>
アフィリエイト広告の構造上の問題。アフィリエイターは人様のサービスへ初回申し込みさせることで報酬をもらう。
それ以上、申し込ませたお客と関わることは無い。
なので、1顧客から得ることが出来る儲けに限界がある。これが、自らのビジネスを自らでPPC運用する場合だと事情は大きく異なってくる。
例えば、車屋さんが自分でPPC広告をして、お客を獲得し、車が売れたらどうなるか…?
- 売れた車で大きく利益を出すことが出来る。
- その後のメンテナンスまで考慮すれば安定的に継続して利益をもたしてくれるお客をゲットできたとなるケースがある。
- 再び、そのお客が車を買い替えてくれたら…そのサイクルを複数回続けてくれたら…さらに安定感がある大きな利益となる。
- そのお客からの紹介の可能性がある。そうすれば前項1、2、3の可能性がさらに数倍になる。
つまり、1人呼び込むことで2000円しかもらえないアフィリエイターが4000円使って1人呼び込んでいたら、赤字の垂れ流しだが、自社の商品がある会社の場合なら、1人の客を呼び込むのに4,000円使っても、何なら1万円使っても2万円使っても採算があうケースがあるということなのだ。
私は、SEOもPPCもアフィリエイトには違いない。やってやれないわけはないとPPCにチャレンジし続けていたのだ。上記のことを理解してから、熱が冷めてしまったが、常にこのような気持ちは持ち続けていた。
「商品さえあれば、俺はやれるんだ。商品さえあれば、今の俺の力は役に立つんだ。」
と。
「今はまだ、合併したばかりで、色々とやらなければならないことがあるから…だけど、そういうことへも手を付けていこうと考えているんだ。」
副社長宮原は言った。
SEOだ、SNSだPPC、youtubeだなんだと様々な横文字が世に飛び交っていて、それらに自動車屋として真剣に取り組んでいる事業者もたくさん目にする…。
だけど…
「俺はPPCだって思う!それ以外のことは会社でやれって言われても絶対に断る。だけど、PPCならやる!今まで俺が頑張ってきたことが報われるかもしれないじゃないか!」
ちょっとワクワクしてきたぞ…面白くなってきたぞ…西谷は思った。
しかしながら、相変わらず、業務的なことでは苦戦し続ける日々。
- 「西谷君、ここの計算違ってるよ。」
- 「西谷君、ここ抜けてるよ。」
- 「西谷君、この場合は、この書類が必要なんだよ…。」
- 「西谷君、これやっちゃうと、契約書もう一回お客さんのところにいって差し替えしなきゃいけないよ…。」
- 「西谷君、ナンバープレート付けておいて!えっ!?やったことないの?」
- 「西谷君、洗車機かけておいて。えっ?やったことないの?ボタン押すだけだよ!?」
色々とごちゃごちゃしてる。頭がオーバーヒートしそうになる。なんでも人任せにしてたから、全般的に浦島太郎みたいになってる。情けない。恥ずかしい。
営業マン体験1か月目は…ちょっと希望も出たけど、基本的には、前の職場に戻りたい1か月だった。トラックドライバーをあんなに辞めたかったあの気持ちは何だったのだろうか…?
ただ、今の流れに身を任せることが、長い目で見たら良い方向に作用するのだろうとは感じていた。
そんな1か月目だった。
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